長命寺は、赤城山観音院長命寺と号し、奈良大和路の花の御寺長谷寺(奈良県桜井市初瀬・両国第八番霊場)を総本山に仰ぐ真言宗豊山派の寺院であり、また当地方の真言密教古刹寺院として知られる。


その起原を遡れば、御醍醐天皇(鎌倉時代)の時代、相馬家累代の筆頭寺また祈願寺として元亨三年(一三二三年)に下総国(千葉県)から相馬重胤公と共に随行し、行方郡太田(南相馬市)別所の館、三浦氏の居城に移る。その後嘉歴元年(一三二六年)に行方郡小高(南相馬市)堀の内館、小高氏(本姓 行方氏)の居城に移る。


この時、長命寺は妙見宮(相馬太田神社・小高神社・相馬中村神社)の正別当の寺であった。近世に入ると慶長四年(一五九九年)には火の沢(のち水沢と改める相馬市)の東泉院跡に移る。

元禄八年(一六九五年)相馬昌胤公が宇多郡坪田村(相馬市)に大社を再興し造営したとき、八幡宮(現在の涼ヶ岡八幡神社)の正別当となる。この時、京都醍醐三宝院より八幡寺(長命寺)の寺号を賜り、放生山長命院八幡寺となり京都三宝院の直末となる。


 明暦2年、領主相馬勝胤公より宇多郡今田、坪田、西山の各村、行方郡太田村、行方郡岡田、大井、小高、片草、吉名の各村の寺領を有し、中本寺として栄しも、明治維新の時、寺領・社領を明治政府に奉還して現在に到る。

 開創来、星霜を経ること六九一年、住職五十六世の代に檀信徒の御協力によって新本堂が完成され長年の願いが叶ったのである。また大慈大悲の心で法燈の輝きを添えたい。

赤城山長命寺 第五十六世栄照